怒りについて少し書きたいと思います。
ブレストレーニングに「怒る」というパートがありました。
「怒る」というタイトルではありませんが、
歯をむき出す。
爪で立てて威嚇するような姿勢を取る、こぶしで殴る動作をする。
足でけるような動作をする。
大声で叫ぶ。
いろんな形で怒りを表現します。
これには、抑圧した「怒り」を表現して手放すという以上の意味があります。
「怒り」という感情は、否定的に捉えられる傾向があります。
しかし生命エネルギーの最も純粋な表れでもあります。
自分の中の「怒り」に結び付くことは、生きる力を取り戻すことです。
確かに、日常生活の中で怒りを直接表現したら、かなり困難な状況に陥るのは間違いありません。
しかし怒りは、生きる力、生命力の最も直接的な表れです。
物を作る人、職人や料理人は、怒りっぽいのを観察できます。
ミュージシャンが練習しているときの会話なんて怖くて聞いていられないほど激しくぶつかりあいます。
新しく物を生み出す創造活動には、怒りのエネルギーが「必須」なのです。
怒りを抑圧していると、自分自身の生きる力、創造力を抑圧する事にもなります。
怒りに否定的な教育を受けた我々には、「怒る練習」がとても役に立つのです。
怒りは、生命力ととても深く結びついているので、怒りに働きかけるには、体を使うのがとても役に立ちます。
有名なのは、座布団叩きでしょう。
しかし座布団叩は、少し誤解されている面があります。
まくらを叩くときには、手で叩くだけでは不十分です。
全身を大きく動かし、全身で叩く必要があります。
思い切り頭上までクッションり座布団をを持ち上げ、全身を使って床に叩きつけるのです。
重要なのは、横隔膜が十分に動く事です。
骨盤と横隔膜を大きく動かす動作は、自分のパワーを取り戻す役に立ちます。
純粋な怒りは、対象を必要としません、対象なしに、ただ怒ることができます。
本来対象を必要としていないという点では、愛に近い感情とも言えます。
自分の中にある怒りを体験することは、自分の生命力をつながり尊厳をもって生きることの助けとなります。
面白い事ですが、自分の中の「怒り」に触れることができたら、「愛」が動きだします。
今日は、この辺で話を終わりたいと思います。